カモメの背を見ながら⑮

追想

日が沈み、群青色の宇宙のとばりが下りてきた。

夕焼けの暖色から寒色に向かうグラデーションを見かけると、カーペンターズの “Close to You” が聴きたくなる。そしてその光景には宇宙とは生き物なんだと、改めて感じさせられる。宇宙が生き物だとしたら、いったい何を考えているのだろう。

宇宙はどうして人類を作ったのだろうか。どうして宇宙はぼくを生かしているのだろうか。ぼくが生きていることはいいことなのだろうか。そもそも宇宙が存在していることが、いいことなのだろうか。宇宙など存在しなくてもいいのではないか。そしてこんな存在していいのかどうかが不確かな宇宙で、ぼくがこうして色んなものを損ないながら生きていることに、果たして意味なんかあるんだろうか。

 

オオタニさんはこの仕事が終わったら、マイアミにバカンスに行くという。そして親や元の奥さんや会社の社員が彼の帰りを待っている。でもぼくがこの船に乗っていることを知っている近親者は居ない。アケミさんにも伝えていない。そして帰りを待っている人も居なかった。唯一、首を長くして待っているのは、不動産屋の家賃取り立て係の男だけだった。陸に上がってやることもこれと言ってなかったし、社会との関係性が失われていた。

一般的には家族、友人、地域などとの関係性が損なわれると、人生の意味もほとんど損なわれてしまう。昨日画面の中で野垂れ死にしていたおじさんにはハッピーとの絆から生まれる意味がありそうだったが、ぼくにはそれはないように思える。

 

心理学的知見をひも解くまでもなく誰しも、行為の有効性つまり意味が分からないと、モチベーションが上がらない。自分の行為に意味がないとか、何にも誰にも貢献していないと感じることは、えてしてモチベーションをスポイルする。そして生きることだってその有効性つまり意味がわからなければ生きる意欲が削がれる。ぼく自身のありさまがそれだった。

 

幼少の頃から生きる意欲というものが薄く、それもあってか母親は当時ぼくのことを短命に終わると見立てていた。そんな中、生きることの意味の解を求めることに光明を見出し夢中になったこともあった。でも正解というものにはたどり着けず、社会人になりこういった探求心を封印して仕事に励んだこともあった。大人として「よりよく」生きるには以下の疑問を持つことはタブーだった。

「どうせ死ぬのになぜ生きるのか。」

 

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