なんくるなかった②

追想

ヒラタさんのブリーフから滴る「一番搾り」を浴びる二年ほど前、オキナワにやってきた。

 

その前は関西のとある私立大学に籍を置いていた。もともと中学も高校もサボりがちだったけれど、親元を離れ自由になったことを境にその性分はさらに加速した。春に入学し夏休みになる頃には完全に大学とは距離を置き、ほとんど家に引きこもり本を読んで過ごすようになっていたのだった。

もちろん単位などは一つたりとも取得しておらず、入学後1年ほど経ってから親にそれがバレた。もちろん親から電話がかかってきて叱られる。あんなに怒った父親に触れるのは初めてだったかもしれない。だが、今更あそこに帰るわけにはいかない。

 

あの学校は、一流大学と言われる所だったが、実は妙なコンプレックスを持った連中の「るつぼ」だった。クラスの連中や部活の連中が口を開くと挨拶代わり「本当は早稲田(慶応)に行きたかったんだけれど(仕方なくここにきている)」みたいなことを言うのが妙だった。確かに立場としては自分も受験に失敗した身だったけれど、そういったことを口に出すのは何か違うな、この連中のことが嫌いだな、と感じていた。

親にはもう大学に行かず、就職する事を告げた。

 

それでも大学だけは出てくれと懇願する両親を見捨てられず、再受験することにしたのだった。何より親父が末期ガンだったこともある。いや、本当は何もかもどうでもよかった。だから釈然としないまま、親の言うとおりにしただけなのかもしれない。

とりあえず、当時ハマっていた村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の世界に少しでも近づけるように、米軍基地のある街を目指した。その一つがオキナワだった。

書中にしたためられた毎日のように繰り広げられる乱交パーティ、ヘロイン、ハシシ、LSDなどの薬物を使ったセックスへの陶酔。少しでもその退廃に近づきたかった。

 

ただしその当時ぼくは童貞だったが。

 

二年間ひとつも受験勉強などしていないので、再受験の点数は軒並み落ちていたのだったが、古文漢文含めて国語だけは現役時を大きく上回っていたのが面白かった。読書の量にものを言わせて、日本語教育の専門過程に受かったのだった。

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