カモメの背を見ながら⑨

追想

「きたかみ」は、苫小牧と仙台の間を延々と往復する。
夕方に苫小牧を出航すると約15時間かけ翌日に仙台に着く。そして停泊し夕方に仙台を出航するとまた約15時間かけ苫小牧に着く。

着岸、停泊、出航。ひたすら、着岸、停泊、出航その繰り返し。新聞配達なみの律儀さだった。

 

各々の港に到着すると、船員と乗客のための食材を受け取る。検品しそれらを厨房の冷蔵庫に格納する。そういったことも、ぼく達の重大な任務だった。

今日も昼食後の休み時間が終わり、その任務のために荷受けの階に移動する。冷凍食品や野菜のボックスに混じって「かんぱち」と書いてある箱が見えた。船員向けの夕食の一部である。

 

一般的に船員の夕食は豪華だ。高級魚の刺身が提供されることはもとより、うなぎ丼、和牛ステーキ、フカヒレなどの高級食材を使った中華料理、寿司など、ぜいたく品が食卓に並ぶことは正に日常茶飯事だった。

それは何故かというと、船員たちは「食べることくらいしか楽しみがない」からというのである。

 

船員は、3週間勤務して1週間休むといった勤務体系である。つまりいったん船に乗ると3週間ぶっ続けで勤務になるわけで、その間、ネットもなくテレビもなく(BSだけは見られたが)ほぼ海上で過ごすわけである。家族や恋人など近親者と離れ離れで、捌け口は恐らく賭け麻雀といじめと人の悪口くらいである。

そのため若い世代を中心として非常に離職率が高い。それもあって船会社も食事のことをはじめとして、様々な福利厚生には力を入れているようであった。

 

ある夜、和牛ステーキの日があった。料理人が調理してくれる。焼き加減を聞いてくれる。ぼくは初めて食べた佐賀牛に舌鼓を打った。

オオタニさんも目の前で肉塊にナイフを入れている。「うまいね」と言っているが、彼ならもっともっといい肉を食べ慣れていても不思議ではない。それが口に合うかどうか心配になり少しだけ気を揉んだが、オオタニさんは意に介さない。

そういった美食の余韻もそこそこに、また皿洗いである。乗客の使った皿、船員の使った皿。汗だくになり洗い終え、スプーンやフォークを磨き上げ、全部終わるのが午後9時。それから風呂に入り洗濯。波に揺られながら睡眠を取り、翌朝の5時に起床しまたメスルームの清掃を行い朝飯を食べ皿洗いをする。その繰り返しである。

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ある夜中に所在なくなり、ひとり甲板に出る。海の音(ね)をかき消す船のエンジン音はけたたましく壮大だが、ここ洋上では誰にも迷惑をかけないので清々しい。

重油の匂いと海の匂いが混ざった船独特のにおいが鼻の前を通り過ぎる。心臓の鼓動とディーゼルエンジンの振動が無機的に呼応する。その暴力的な揺れに身を預けていると自分の大切な何かが損なわれていくような気になる。遠くにメルトダウンした発電所。あの3月の津波にのまれて散った骸骨達がこの付近の海底に沈んで、真夏の風にしなう柳のようにたなびいているのを想像する。

 

ぼく達はどこからどこへ行こうとしているのか。多分どこにも行けない。移動していると思ってもある地点からある地点を往復しているだけだ。ラリーの中にあるピンポンのボールのように。そしてこの船のように。

そんなことを考えながら、太平洋の夜は更けていく。黒い闇に、煙突から吐き出される黒い煙が巻き付いていき、あたりがいっそう黒い黒になる。カモメの姿は見えない。

 

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