カモメの背を見ながら⑫

追想

入浴やら洗濯やらひと段落したぼくら3人は、午後11時の静まったメスルームに居た。

「静まった」といっても注意を注ぐや否や、きたかみの28,800馬力のエンジンの運転音がすぐに意識を支配する。それはハーモニーを放棄した通奏低音のようであり、単調で退屈な奏を船内に響かせる。エンジンはその音や振動を通じて、この船の主体は自分なんだと主張する。

テーブルの上にはオオタニさん提供の、のどごし生の500ml缶が6本ほど鎮座している。缶は振動を吸収し、ぶーん、ぶーんと金属音を立てて細かく細かく震える。その拍子に缶の表面の水滴がひとすじふたすじと、垂れる。

 

「もう辞めようかなあ、なんて。」

厨房で一緒に働く若手社員のT君は、オオタニさんに人生相談をしていた。T君いわく、ここの厨房の仕事には「やりがい」というものが無いそうなのである。

船員用の豪勢な夕食の場合はともかく、客用の食材のほとんどが調理済み冷凍食品、と言っても過言ではなかった。
朝食用のスクランブルエッグさえも、レトルトパックに詰められたものを湯煎し、銀色のビュッフェ用の保温器具に移すだけであった。他の揚げ物、焼き物、サラダなどに関しても言わずもがな、である。

その仕事にやりがいなどない、とT君は言っているのである。
なるほど、中華包丁のKがいじめにまい進するのもわかるような気がした。彼も本音は厚岸君いじめなんかに精力を注ぐのではなく、中華包丁を握って食材と向き合い、その覚えのある腕を唸らせたいのかもしれない。それが出来なくて拗ねているのも、あるのかもしれないのだ。

「若いんだからいろんな経験をした方がいいよ。そして、勉強。小説を読むといい。」

知識を身につけるには小説を読むのが一番、というオオタニさんのいつもの持論である。
その頃のオオタニさんの船の中での愛読書は「砂の器」だった。

「もう一度きりだから、こんなことしていて良いのかな、って。命を輝かせなきゃって。」と半ば目を潤ませるT君。

 

仙台出身のT君は震災で親戚を亡くしたという。

多かれ少なかれ、あの頃は各々があの震災のケリ、というか始末をつけられず、動揺したままに日々を過ごしていたところがある。そして今までの生き方を見直そう、という気運も高まっていたように思う。

「その辺はさ、相談なんかはさ、オジマさんのほうが専門だから。」

オオタニさんは、水滴がつかなくなったビールの缶を気楽そうに傾けながら、ぼくのほうを一瞥する。

 

ここでどうするか。あれを使うかこれを使うか。カウンセリングの知識が頭をもたげる。でもぼくはT君に尊敬の念と共感を示すにとどめた。ここは安易に解決しないことがT君にとって大切なのだろうと考えた。

もちろん相手が本気で望んでないところでカウンセリングの真似事をしても、ここに居る誰もが幸せな結末を迎ることは困難だという目論み、経験からくる自負もあった。

 

ぼくらを揺さぶる28000馬力の振動はどこまでも、いつまでもついてくる。それはまるで、人生における悩みの存在のようであった。船を降りない限り、そして人生を降りない限り、誰しもそれらから逃れることは無理な相談であるし、その揺さぶりがないと船も人生も前に進んでいかないのだ。

振動も悩み事も、ある意味前進の象徴というか、積極性の副産物なのだ。

 

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この記事を書いた人
MAZIO

人生の意味を探し続けて30年。考え研究し実践し体験し出た答えは「人生には意味がない。ニンゲンは自由だ」。人を笑わすことが大好きかつ自分が笑うことも大好き。2009年からコーチングのセッションやってて歴10年目に突入。タロットも同じくらい。個人セッション受付中。得意ジャンルは人間関係、お金、目標達成など。

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